⇒つづき。

 

この日のチケットは即完売、一番広いスタジオでしたが、

60人以上のお客様でギッチギチでした?。

暑かった! 熱かった!!

  

というわけで、本番の始まり始まり?。

  

 ↓ 1曲目はリハーサル中にTAKUYAさんが

「ちょっと"Johnny Be Good"みたいな感じでセッションやってみようか」

と提案されたロケンローなセッション!!

リハでもすでに、最初からそういう曲だったんですよね?っていう

完璧すぎる3人でした!!

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そしてお次は……。

今回、最初で最後にしてくまれた、

スペシャルクリニック最終回緊急プログラム!

題して、
「求む!音楽戦士!!きみの曲、ここでアレンジしましょう!」

なんでも、クリニック当日に歌を歌ってくれるVoと楽曲を募集し、
なんとその場でその曲をTAKUYAさんと公太さんがアレンジしてしまう!

というもの。

急な発表だったにも関わらず、たくさんのご応募があったそうですが、

選ばれたのは、シンガーソングライター・として活躍していらっしゃるという

藤木りえさんの「関係ない月」という歌でした。

こちらはピアノで弾き語りの美しいバラ―ドです。

    

リハでも数度聴いてみる程度で、「あとは本番にとっておこう!」とTAKUYAさん。

まずは、アレンジの手順として、TAKUYAさんご自身もよくやってみるという、

「絶対にあり得ない感じ!」にチャレンジしてみることに!

例えば今回はそんなピアノバラードをシャッフルでやってみよう!とか、

今度はテンポアップしてみよう!!!とか。

もう、全然印象が変わって、藤木さんの歌い方までなんかロックにΣ(゜Д゜||;)!

   

どうしたら人の耳に、印象に残るのか。

コードの中の1音がどれだけ重要なのかなどなど、

実際に鳴らして説明をしてくださったので、その違い、

とてもわかりやすかったですね。

 

 ↓ TAKUYAさんがアレンジを考えている間は、

リズム隊の公太さんも河辺さんも演奏はストップ。

そして、会場も固唾をのんで見守っているので「シ?ン…… (´・ω・`)

公太さん、「昔もこうやって待っていた気がする」ですって(笑)。

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そしてリズム隊を交えて演奏してみると……。

わ!!!すごい!!全然違う!!!

公太さんも「一瞬、お客さんのこと忘れてた(≧ヘ≦) !!!」っというほどの

集中力で作業が進み……。

レコーディングさながらの風景を目の当たりにしたのでした。

    

そして次は、JUDY AND MARYの「小さな頃から」を3人で!!!

TAKUYAさんの手元を観たいギタリストさん優先で、

前に寄っても来てもよし!と(笑)!みなさん、前に詰め寄る詰め寄る。

前方は一気にカオスになってました。

 

ラストは、サッカー好きのTAKUYAさんが、

ワールドカップで盛り上がっている今、「日本代表のためにやります!」と!

客席のみなさんも「おぉ?!!!」とそれだけで分かる、あの曲。

そうです、「くじら12号」!!!

みなさん、間近の演奏に集中しつつ、心の中で歌いつつ……。

それぞれ思い思いの渦の中、終わりました。

公太さんからは、最終回らしくシメのお言葉もあって、

花束も贈られ、感動の一幕も。

  

 ↓ 終演後のお二人!!!

このツーショット、なんてしっくりくるのかしら?(*T▽T*)/!!!

当たり前か?(笑)。

最終回も本当に素晴らしいクリニックでした!!

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公太さん、約1年間のクリニック、

ほんとにお疲れ様でした?ヽ(^◇^*)/

 

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INFO 1.
[『五十嵐公太Presents Drums & XOthers
スペシャルクリニック] もうすぐ最終回!!!
  
Schedule(敬称略/repoあり)
第1回/09620日(土)×恩田快人(Bass
7回/10123日(土)
×三喜屋・野村モーター‘s BAND
第8回/10227日(土)
×仁井山征弘(Rap&河辺真(Bass
第9回/10327日(土)
×西川進(Guitar&河辺真(Bass
 
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INFO 2.
今回、アレンジ曲に選ばれた藤木えりさんは、こんな方でした。
  

横井ジン

22歳までプロドラマーを目指し活動するもあえなく挫折(涙) その後一転TV業界へ=アッコにおまかせ!、TVチャンピオン、進め!電波少年のディレクターを経て、2005年DRUMMER JAPAN設立。やっぱりドラムが好き!